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がんがらがん(1)
シリーズ
がんがらがん(2)
鉄道工事の仕事を得た楽市たちだったが、食費を切り詰め鳥目になっても金を貯めようとする工夫たちの姿に、現実の厳しさを知る。そして早速、白人たちの容赦のない差別が待っていた。物を買いに行っても売ってくれず、やっとインデアンから買った卵も、嫌がらせにあって割れてしまう。楽市と清郷は、雪崩に遭った列車から命懸けで白人の婦人を救出するが、逆にレイプ犯の汚名を着せられ投獄された。気がついた婦人の証言で汚名は晴れたが、事情の判らぬ楽市たちは脱獄。清郷とはぐれた楽市は、勉強をするためにスクール・ボーイとなった。この時も下宿する家でワイン泥棒の濡れ衣を着せられるが、嫌疑は晴れ、神父により列車事故の活躍を知らされた家族は、楽市を心から受け入れる。
がんがらがん(6)
太平洋戦争が始まり、時の大統領ルーズベルトは大統領令9066号に署名。日系人は住む土地を追われ、全財産を二束三文で手放さなければならなくなった。彼らはまず、集合センターと呼ばれる仮収容所に入れられた。競馬場、競技場、家畜場の跡に建設されたバラックである。そして半年後、急造された10箇所の収容所に移された。アメリカの敵である日独伊のうち、このような目に遭わされたのは日系人だけである。その上なお、アメリカのために戦闘部隊に入るかという忠誠心をテストすることまで行われた。日系1世と2世の祖国への重いが葛藤するなか、日系人の待遇改善を願ってアメリカ軍に入る2世達。楽市の息子・朝市も2世部隊に志願した。
がんがらがん(7)
収容所では、収容者の代表機関は一切認められなかった。厳しい締めつけの中、日系人同士の諍いも起き、アメリカ市民権を放棄する者も出る。その間にも太平洋戦争は、急速に終結しようとしていた。二発の原爆により日本は無条件降伏。収容所の日系人は解放された。朝市は父の故郷・博多へ行く。そこであいの孫娘・市子と出逢う。戦後進駐してきたアメリカ兵と日本人娘の結婚問題が起こっていたが、排日移民法のために結婚は許されなかった。やっと1946年に、外国人である婚約者、又はアメリカ軍兵士の婚約者の入国を許可するGI婚約者法が設けられる。だが市子を人種差別で苦労させたくない朝市は、彼女との結婚を諦めようと…。